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自己紹介~生い立ちから会社設立の経緯まで~

Ryosuke Ishii
りょうさん
りょうさん

はじめまして。
㈱データパレードの代表取締役の石井 亮介です。

こちらのページでは私の生い立ちや過去の決断したこと、起業した理由などを紹介をさせていただきます。

会社についての情報は下記のページにギュッと書いていますので、参照してください。

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会社概要
会社概要

サクッとまとめると

  • 中野区と新宿区の境目で生誕
  • 小中高は地元に公立学校
  • 大学は理系大学で電気工学科
  • 【8年】一部上場企業でシステムエンジニア
  • 【4年】BIツールメーカーのセールスエンジニアとカスタマーサクセス
  • 【2年】フリーランス
  • 【2022年12月】株式会社データパレードを設立

シンプルな内容ですが、実はどれもまともじゃなかったり・・・意外と波乱万丈をしていますので詳しく解説をします。

人生を細かく振り返っていく

生誕~学生生活

新宿・中野・高田馬場に歩いていける場所に生まれ育っています。うらやましがる方もいらっしゃいますが、私の中で大きな問題がありました。

りょうさん
りょうさん

ひとりになる部屋がなかったのです

高校時代にかろうじて提供してもらった部屋は4方向中の3方向が入口でした。19歳になるまで個人の部屋がない生活を送りました。友達を自宅に連れてくるとよく家族に怒られました。

公立の高校に通ったことで人生が変わりました。そこは自由な校風で私服OK、金髪OKな場所です。自由がゆえにちゃんと考える人が多かった成果、今でも会う高校の同級生は経営者だったり一部上場企業の管理職になっていたり。この環境で切磋琢磨できたことで今の自分があると思っています。

大学生活で決断した人生を決定づける2つのこと

家族が理系大学の出身なので、なんとなく自分もそうかなと思い、そのまま理系大学に入りました。そして電気工学科でひたすら効率的なエンジンの設計の仕方を学びました。

大学3年のとき友人たちはどの研究室に悩んでいるところでぼんやり考えていました。

りょうさん
りょうさん

研究したいほどやりたいことがない

技術者になりたいというわけでもないし、なんとなく決めた理系進学だし、大学4年の生活を研究に費やすほどやりたいことがありませんでした。

そこで決めたことは2つ、それは

  • 研究室は週1でOKな文系の研究にしよう
  • 就職先はどこでもいいから営業をやろう

でした。大学生活の3年を振りにした、今にして思えば破天荒な行動です。

りょうさん
りょうさん

さすがに親には言えなかったなぁ

大学の学長に相談し、理系大学でも存在する文系の研究室を紹介してもらい、法律学の勉強をすることにしました。死刑存廃制度に対して勉強をし、卒業論文を書きました。

大学の卒業研究発表会で周りが研究発表をする中で、ひとり論文の発表を行いました。

りょうさん
りょうさん

教授が別の研究室の生徒の研究にケチをつける慣習がありましたが、不思議と私の卒論には誰もケチをつけませんでした

一生懸命がんばった就職活動

さて、営業職に行くと決めたので、就職活動は難航しました。技術職への応募は一切せずに目指すは総合職採用。

「大学時代にどんな勉強したの?」の質問は答えられませんでした。ひたすらアルバイトで学んだことを語る日々。大学の授業中にSPIの勉強をしまくって学術試験は問題なし、だけど面接では散々な結果でした。

結局大学4年のゴールデンウィーク直前まで就職活動を続け、なんとか一部上場企業の総合職採用が決まりました。当然、過去にウチの大学では誰も行ったことのない企業でした。

遊びきった大学4年というモラトリアム期間

就職活動が終わってしまえば、卒業に足りる単位は取得済みのため、週1の研究しかありません。残りの時間は遊び切ることに決めました。

アルバイトで100万円貯め、アメリカに1ヶ月バックパッカーで旅行しました。ニューヨークのハーレム街のユースホステルで会社に向かうみなさんを眺めながらのんびり洗濯機を回したり、ラスベガスのユースホステルで知り合ったおじさんと意気投合して、デスバレー国立公園に行く車に乗せてもらったり、ロサンゼルスのハモサビーチのユースホステルで屈強なお友達とUFCを観戦したりと刺激的な毎日が過ごせました。

その後も卒業旅行として韓国・グアム・沖縄に行き、すべてのお金を使い切りました。

今振り返ってもお金には変えられない貴重な経験ができているので、この大学4年生の行動に悔いはありません。

新卒入社~いろいろ経験したエンジニアライフ~

システムエンジニアになったわけ

営業職になる気満々で入社しましたが、結局はシステムエンジニアになりました。その理由は運を使い果たしたからです。

80名くらい新人がいました。デザイナーもエンジニアも総合職採用なので、全員で同じ研修を受けました。軍隊式の厳しい研修を受けたあと、全員で飛び込み営業をしました。それはもう地獄絵図で社内社外のプレッシャーから泣きながら訪問をする人もいました。

私は”怒られない””ギリギリ売れない”くらいの位置をキープしようと最低限の行動のみをしてダラダラしていました。お客様先でデモをやると評価になるので、不動産会社にデモをやりました。お客様からお断りいただき、さて帰ろうとしたところで、駐車場を借りに来ていた近所の社長さんが製品を購入してくれました。ちょうど欲しかったから、と何台も買ってくれました。

会社に帰るとヒーローのように迎えられ、営業成績は1番となりました。

ここで社会人としての運を使い果たしたと悟り、これ以降は裏付けされた技術がないと営業できないと思い、システムエンジニアを目指すことにしました。

りょうさん
りょうさん

めちゃくちゃな理由だけどこの直感は正しかったと思います

慣れないシステム開発と怒られる日々

プログラムを書いたことのない私です。システム開発は慣れないことばかりでした。パッケージ製品にカスタマイズをしてお客様に納品をしたり、スクラッチでシステムを作り上げたり、設計をしたりしました。

すごく厳しいお客様には人生観が変わるほどに怒られたりもしました。電話に出れなくて怒られたり、前回と言ってることが違うと指摘して怒られたり、議事録に捺印されていることを確認してから前回との違いをお伝えすると「言ったけどそんな意味では言ってない」と怒られたり、と人間として大きく成長できる機会となりました。

BIツールと出会ったのはこの頃でGUIで操作をしながら複雑なものがつくれるし、データを可視化する仕事は経営者の側近の方と話せる機会が多く、とても好きになりました。

定時までは通常の夜や土日にお客様に提案するためにBIツールをいじっていました。

フィジカルが壊れ入院

サービス残業が常態化していました。土日も出社しているのでワイシャツをアイロンがけする時間がなくなり、地元の町だとクリーニング店の閉まる時間に帰れずに、会社の近くのクリーニング店にワイシャツを持ち込むために大きいカバンで通勤していました。

会社で寝ることもよくあり、サーバールームやキッティングルームの床は人があまり歩いていないので綺麗だからとそこで寝ていました。入社4年目くらいで過労で倒れて緊急入院。会社のパソコンを持ち込んで、ベッドの上で仕事をしました。このときに時間があったので、新しいETLツールの使い方を習得しました。

社長賞受賞

システムエンジニアも予算を持つ会社でした。この頃はデータ分析の仕事を専任していました。開発メンバーが足りなかったので派遣会社から人を雇い、正社員は自分だけのチームで活動をしていました。その頃の成績がかなり良く、連結で3,000名くらいいる会社で社長賞をいただきました。封筒の中には30,000円入っていました。

りょうさん
りょうさん

システムエンジニアが粗利予算を持つことで自分の作業をいかに効率化するか、価値のある見積をどう提示すればよいかを学ぶきっかけになりました

メンタルが壊れ休職

データ分析事業も軌道に乗ってきましたが、その頃にメンタルが壊れました。やる気が出ず会社にも行きたくない、人と話したくない。気付いたらベッドから動けずにいました。インターネットで鬱病の問診を受けてみて、「これが鬱病か」と確信したので病院に行き、診断書をもらい休職しました。

退職の決意

ここで今までの社会人生活を振り返り、このまま続けても3年に一度は何かを壊し、それでもきっと休みなく働き続けるだろうと感じました。退職を決意したとき、体がフッと楽になりました。

退職の引き止めをたくさんいただきましたが、意志を貫き通しました。お客様ひとりずつにメールをしたときのお客様からの励ましの返信は今でも私の宝物です。

りょうさん
りょうさん

鬱病の回復は人それぞれだと思いますが、私は自分の状況が言語化できたことで頭の中のモヤモヤした霧を取り払うことができました

システムエンジニアで学んだロジカルシンキングが活きた瞬間でした

2社目の居心地の良さ

転職先はBIツールのメーカーです。自分の使い慣れたBIツールをメーカーとして支えることを選択しました。セールスエンジニアという役職をいただきました。お客様やITベンダー企業がBIツールを導入する際の技術面でのサポート担当です。1社目でBIツールのセミナーから導入・設計・開発・保守までの工程を経験していたことが役立ち、即戦力として働くことができました。

仕事は楽しく働き方はホワイト

社内全体が忙しく働いていましたが、20:00にはほぼ誰もいなくなるホワイト企業でした。それまで終電まで働いてダッシュで電車に乗るか、夜通し働いて会社で寝るかの生活をしていたので、物足りなさを感じていました。

りょうさん
りょうさん

サービス残業ってしてはいけないというものらしいです、知らなかった・・・

町中華との出会い

社会人時代は荒川区で一人暮らしをしていたのですが、この頃は池袋にいました。地元の幼馴染が経営に携わっている高田馬場の町中華が帰り道だったのでふらっと寄る機会が増えました。

中学時代まで毎日この町中華に通い、無料でラーメンを食べさせてもらってた恩もあり、お店が忙しいときは無償でホールの仕事を手伝っていました。そのときに幼馴染がお店でホームページを作ろうとしていることを知り、元システムエンジニアだから自分の方が得意だろうなと思い、自分で作成してみました。

実際につくったホームページ
一番飯店
一番飯店

よく考えたら本業でBIツールを売ってるんだし、商談の際に自分の作ったホームページの閲覧数を可視化したダッシュボードを出したら、お客様のイメージが湧きやすいかなと思い、サンプルをつくってセミナーで発表してみたら、ウケがかなりよく、自分の中でのキラーコンテンツになりました。

新しい部門の立ち上げに参画と表彰

会社では新しい部門が立ち上げに参画しました。BIツールの技術情報を知るメンバーが少なかったので社内の教育にも力を入れました。社内をカバーしながら月に20件以上の新規のお客様のサポートや外販用コンテンツのリリースに寄与したことにより、こちらの会社でも表彰していただきました。

りょうさん
りょうさん

チームが成長することが何よりの喜びになりました。データパレードのチームビルディング事業もこの頃の体験を活かしています

リモートワークと副業やってみた

まだコロナになる前に会社はリモートワークを少しずつ実施していました。移動時間が減った分、仕事をギュッとすることができ、余暇時間が増えました。そこで副業をやってみました。システム開発やコンサルティングなど、新しい領域を開拓しました。

その頃に先述の町中華屋でオーダーシステムをつくる話が出て、片手間で設計・開発に着手しました。しかし片手間でできるものではなかったので、断念をすることに・・・。

りょうさん
りょうさん

設計はできたのに肝心の開発するツールが見つからず・・・ツール探しと技術習得に難航しました

退職の決意(二度目)

2社目の会社でも成果を出すことができ、さらに余裕があったので副業の開拓もできました。でもさすがにオーダーシステムを設計・開発する時間までは捻出できず。この会社で役職を得て残りの人生もこの会社で・・・とも思いましたが、今のタイミングで新しいチャレンジをした方が人生がもうちょっと面白くなると思い、二度目の退職を決意しました。

フリーランス時代~やりたいことを貪欲に~

会社を辞めてからは個人事業主として活動をしました。ITベンダー企業にBIプロジェクトの技術指導をしたり、SNSで相談いただいたお客様にBIツールの導入支援をするようになりました。

そして残った時間で町中華屋のオーダーシステムのサンプル版をつくりました。

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私がやりたかったことはオーダーシステムのデータ分析です。登録されたデータを効果的に活用することで経営戦略が練れるようになりました。

またこの頃にはSNSで知り合った、自分の扱っていないBIツールを使用する方々と出会いました。データ分析に対する課題はツールによらず共通しているもので、みんなが困っていることを知りました。

データパレードの設立

この頃には私の明確にやりたいことが2つできました。

  • 町中華のオープンデータをつくりたい
  • データに携わる人のコミュニティをつくりたい

町中華のオープンデータをつくりたい

個人店の町中華屋を見渡しても、いまだに紙の伝票をやり取りしています。売上はレジの一日の売上を見ているのでしょう。これではデータ分析はできません。

今のオーダーシステムを改良し、他のお店でも使えるようにして全国展開をしていきます。そしてそのデータを集め、町中華のオープンデータをつくりたいと思います。

データ分析の専門家として自分でデータをつくり、そのデータに価値を与えるところまでを実現したいと思います。

データに携わる人のコミュニティをつくりたい

今の日本ではデータを扱える人はまだまだ多くないです。しかしDXの波はすぐそこまで来ているので、ひとりひとりがデータ分析をする世界が近づいています。そんなときに「データについて困ったことがあったらここで聞けばいい」というコミュニティがあったら嬉しいだろうなと思います。

データ活用者の基盤となるコミュニティを築いていきたいと思います。

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これら2つをつくりあげるために、㈱データパレードを設立しました。

おわりに

ここまで読んでくださり、ありがとうございます。自分で振り返ってみても一貫性のない人生だなと思います。

理系大学で法律の卒論書いたり、理系大学なのに営業採用で、結局システムエンジニアになったり、会社を辞めたり、起業したり・・・。

しかしその行動のすべてに後悔はなく、今日の自分があるのもすべてその決断の延長線上にあるのだと思っています。

2つの目標を叶えるためにつくったこの会社がどこまで成長できるのか、私自身が日々を楽しみながら邁進していこうと思います。

2024年4月7日 ㈱データパレード 代表取締役 石井 亮介

ABOUT ME
石井 亮介(りょうさん)
石井 亮介(りょうさん)
データパレード 代表取締役
㈱データパレードの代表取締役で高田馬場の町中華のChief Data Officerをしています。 BIツールのセールスエンジニア・システムエンジニア・カスタマーサクセス歴10年以上経験、データエンジニア領域とコンサルティングが得意です。BIツール研究所・DMS Cubeなどデータ系コミュニティーのアンバサダーをしています
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